ジャマイカを語る上で欠かせないのがレゲエ。
秋田県程の小さな島国で生まれた音楽が世界に広がったって、かなりすごいことですよね?ジャマイカは文化が濃ゆいのです!
ジャマイカの音楽文化はアフリカ音楽、アメリカ音楽(R&B、ソウル)、カリブ音楽(カリプソ、ソカ)などの要素が融合したものと言われています。1950年代~1990年代までの40年間で大きな変化を遂げ、現在のスタイルが確立されてきました。
今回はジャマイカの音楽史をダイジェスト紹介したいと思います。
Mento
まずはメントから。
1950年代頃まで労働者階級を中心に流行り、スカやレゲエに大きな影響を与えた音楽です。
メントの特徴はアコースティックの楽器。ギターやバンジョー、ハンドドラム、ルンバボックスなどを使います。
ルンバボックス(Rhumba Box)はこんな感じで、箱の上に座って鍵盤をはじく低音楽器。かっちょいい。
英語の先生によれば、最も成功したメントのアーティストはLord FleaとCount Lasherの2人が有名だそう。でも一番聞き覚えがあるのはこの曲?野茂英雄を思い出す曲。
Day-O (The Banana Boat Song)/Harry Belafonte
SKA
続いてスカ。
ジャマイカ上流階級で流行していたジャズをもとに生まれ、1960年代初め頃に流行しました。
1962年に独立したジャマイカ、アップテンポで陽気なスカが時代にマッチしたそうです。
なんといっても有名なのはMore MillieのMy Boy Lollipopでしょう!
1964年に英米ヒットチャート2位を記録し、スカの代表作ともなりました。
いまでもよく流れますし、学校でこれが流れると子供たちが一斉に踊り出します。みんな音楽に反応するのが早いはやい!
小学校の時に踊ったジンギスカン思い出すなぁ。
Rocksteady
独立後のお祭りムードに疲れた人々はスローテンポを求めるようになり、時代はロックステディへと移り変わります。1966年~68年という短い流行ですが、レゲエの誕生につながる飛躍的な2年となりました。
なかでもDesmond Dekkerの007(Shanty Town)は国際的なヒット曲となり、ロックステディというジャンルを世界に広めるきっかけとなったそうです。
Reggae
1960年代後半頃からラスタファリ運動が活発になるとともに、時代はラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽、すなわちレゲエへと変わっていきました。この辺りは
こちらの記事にもまとめてます。
レゲエといえばレジェント、Bob Marley
Peter ToshやBurning Spearもレゲエ創世記には欠かせない存在です。
Dancehall
1970年代後半からはダンスホールが注目され始め、1981年にボブ・マーリーが亡くなってからはレゲエに代わり流行の中心となりました。
転調の少ない電子ドラムの速いリディムに乗せて歌うのがダンスホールですが、はっきりと定義できる概念はないそう。暴力的だったりセクシーな表現が多いのも特徴です。
1990年代にはBennie ManとBouty Killerがダンスホールをリードする一方で激しい対立関係にもあり、ファン同士の殺傷事件に発展したそう。ひぇー
個人的にダンスホールのアーティストは暴力的なイメージ強くて怖い。見た目も。
獄中からリリースしてる人も多いんです。
スーパースターVybz Kartelも終身刑
怖い。
でも結構良いのも多い。
でもやっぱ怖い!!
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ざっとジャマイカの音楽史を紹介してみましたがどうでしょうか。
基本的に1年半前の語学訓練で学んだことをアウトプットしているので、知識が薄いのはご容赦ください!!