2015年6月23日火曜日

ラスタの歴史 part2


今回は1950年代後半~現在まで、ラスタの歴史後半編です。




ラスタの歴史(後半)


1955年

エチオピア世界連盟の要人がジャマイカを来訪。
彼は皇帝ハイレ・セラシエが商船の建造に力を入れていることを伝え、船がジャマイカを訪れる日は遠くないことを示唆します。
それはアフリカ行きの船に乗れる可能性を意味し、ジャマイカ人のRepatriation、アフリカ回帰羨望は一気に高まり、ラスタの加入者は一夜で2倍にもなったと言われています。これをきっかけにラスタが広く一般にも広まり、大きな発展を遂げました。



1961年

ラスタファリアンであるSam Brownが議員に立候補し、政界へ進出します。
彼はRas Brownとして知られていますが、"Ras"とはラスタファリアンであることを示します。

この政界進出を契機に、貧困層から始まり50年代後半に一般層へと広まったラスタが知識層にも広まっていきました。



1962年

8月6日、ジャマイカが英連邦王国として独立を宣言。



1966年

4月21日、ラスタの神であるエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエがジャマイカを訪れました。


1万人以上が空港に押し寄せ、皇帝自身が動揺するほどの歓迎を受けたそうです。

そりゃそうだ。
セラシエ本人は自分が神だとは思っていなかったから、驚くのも当たり前ですね。



この来訪時にセラシエは「ジャマイカを解放するまでエチオピア移住を控えるように」という私信を出します。

これにより「ザイオン帰還よりバビロン解放を
(ザイオン(Zion、天国、エチオピア)への帰還よりも、バビロン(圧制者)からの解放を)という考えが浸透していき、現在の「BodyではなくMindをアフリカ式」に暮らすスタイルが出来ていくのです。



1960s後半~

当時のジャマイカ音楽シーンを見ると、1960年代半ばまではスカやロックステディが流行していましたが、1962年の独立後の混乱期や1966年セラシエ来訪を受け、ラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽、すなわちレゲエという音楽が生まれました。


そしてラスタのミュージシャンが、さまざまなラスタのメッセージをレゲエに乗せ多くのジャマイカ人から支持されるようになり、1967年頃レゲエが出来上がったと言われています。

なかでも1970年代にボブ・マーリーが世界的にヒットし、彼がレゲエを確固たる音楽ジャンルへと引き上げました。この時代はレゲエとラスタが密接な関係にあり、ボブの成功をもってラスタになる人も多かったそうです。


1975年~

1975年8月23日、ラスタの神でありエチオピア皇帝のハイレ・セラシエが、クーデターによる拘禁中に死去。



それまでラスタはセラシエを不死身のメシアの化身として崇めてきましたが、その皇帝が亡くなったのです。
しかしラスタファリアン達は「皇帝は現世の役目を終え神的領域に移り去っただけ」と考え、この悲報を受けてもラスタファリ運動のモチベーションは下がることはありませんでした。

こういった神の死に対する解釈は、さまざまな宗教で見られる矛盾ですね。


皇帝亡き後、ボブマーリーは「Jah live」(ジャー(神)は生きている)と歌い、ファンであるラスタ達からは「荒ぶる魂の預言者」や「救世主の象徴」などとも位置付けられ、生ける伝説となっていったのです。


1980年以降

1981年にボブが亡くなるまでラスタファリ運動は活発であり続けました。
虐げられた者達のために歌い、社会正義を叫び続けたレゲエのスーパースター、ボブマーリー。彼の伝説についてはまたの機会にまとめます。


80年以降のレゲエには、ラスタのメッセージや嘆きではなく、クールな歌詞が乗せられるようになっていったそうです。ここらへんからはレゲエの領域になっていきますが、ジャマイカ音楽の歴史はきちんと勉強していないので終了!





もちろん今でもラスタのメッセージを歌うアーティストはたくさんいます。

が、一般的な音楽ジャンルとなったレゲエ、その根底にあるラスタファリズムなんたるやを知らない人が多いのではないでしょうか。

先日も書きましたが、1つの音楽ジャンルなので深く考えている人は少数派かもしれません。

でもジャマイカに来て、今までレゲエやラスタをイメージでしか知らなかったことに気づき、なんだかずーーっと違和感をもっていたんです。そして、せっかくジャマイカに住んでいるので、濃ゆい本当の文化やルーツをもっともっと知ってほしいと思ったのです。


ラスタ以外が「ジャーーー」とか「ラスタファーライ」と叫ぶのを本当の崇拝者はどう思っているのかな?叫ぶ側は意味を理解してるのかな?

元々は「Jah」=神様を表す「Jehovah」(エホバ)の略。
彼らの「ジャーーーラスタファーラァーイ」は、神・セラシエへの崇拝が心から出た叫びです。
日本人が外人から「南無...」とか言われる感覚?と思ったり。

レゲエ用語として知られるザイオンやバビロンがどうのとか、ヤーマンの使い方とか、
私がもっていた違和感はこの辺りにありそうです。パトワ語についても今度まとめよう。


今は普通のレスポンスとして使われていますし、決して現在のレゲエを非難している訳ではなく
ジャマイカの文化をもっと知ってほしい、理解してほしい、という意味ですので、ご承知おきください!



ふぅ、、
歴史編もむずかしかったし、自分の考えを書くのってむずかしいな。。
ラスタの話が続いたので次は別の投稿をはさみますが、ラスタシリーズ今後も続きます。ぜひ続きも読んでください。


つづく

※この投稿は、ジャマイカでの語学訓練やラスタ村の訪問、現地の方々から学んだ話を元に執筆しています。間違いや解釈の違いがあればぜひ教えてください。
Special Thanks; Arlene, Wendy, Ra-jah

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 *更新後にアクセス可能となります。

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