2015年10月22日木曜日

7人の英雄-Nanny of the Maroons-



National Hero(国民的英雄)2人目はNanny of the Maroons

彼女は18世紀初頭に起こった反乱の指導者で、逃亡奴隷を率いてイギリス軍に勝利したことで知られています。

マルーンとは?

マルーンとは、アフリカからアメリカ大陸やカリブ海に連れて来られた奴隷たちが、奴隷制度に反発して山中で武装し、自給自足の生活を送った集団のことを指します。

地域によって事情は異なりますが、山中でアフリカ伝統コミュニティを形成したこと、奴隷解放のために戦ったことは共通しています。

ジャマイカでは1655年スペイン軍がイギリス軍に敗れた頃、ある奴隷たちが白人配下の農場から内陸丘陵地に逃げ、これがマルーンの元となりました。
1939年イギリス軍とのゲリラ戦に勝利し和平条約を結ぶまでの間、幾度となく戦いが行われたそう。

現在もジャマイカでは一部のマルーンは山中のコミュニティで生活しています。
PortlandのNanny Town、St.ElizabethのAccompong、St.JamesのQudjoe Townなどが有名。




超余談ですがMaroon5のバンド名の由来はトップ・シークレットだとか。
このマルーンと関係あるのかな。





Nanny of the Maroons

ナニーは元々西アフリカ、ガーナのアシャンティ族として生まれ、その後に奴隷としてジャマイカに連れて来られたといわれています。
アシャンティ族といえばラスタの教派、Bobo Shanthiの元となった、あのシャンティ族。(参考:ラスタの教派

彼女はGranny NannyやQueen Nannyとも呼ばれていますが、実のところ本名は知られていません。
また、ジャマイカで生まれていない唯一のナショナル・ヒーロー。素性は明かされていないようです。

黒魔術も使うらしいし、日本で言う卑弥呼的な存在でしょうか。



上述の通り、ナニーと兄弟たちは白人配下の農場から内陸丘陵地帯に逃げ、マルーンコミュニティを形成しました。
その際ジャマイカ全土に広くコミュニティを形成するべく、兄弟たちが中心となり各地にマルーンタウンを形成。PortlandのNanny Town、St.ElizabethのAccompong(アコンポン)、St.JamesのQudjoe Town(クジョー・タウン)はそれぞれ兄弟の名前から取られ名付けられています。


ナニーは戦術に優れ、その後マルーン達を率いてイギリス軍との戦いに幾度も勝利しました。

いつ攻撃するか、どうやって戦うか、など計画を練ることやリーダーシップだけでなく、ナニーの強さは超自然的な力があり、オベア(黒魔術)を扱ったとも言われています。
また薬草の知識も豊富であり、マルーンの健康も助けたそうです。

ますます卑弥呼感が増していく。。

1728年にNanny Townを形成してから1934年頃まで、度々イギリス軍から攻撃を受けながらも、Nanny Townは一度も害を受けなかったとか。スーパー強かったわけです。



1731年~1739年が第1次マルーン戦争として知られていますが、ナニーはこの戦いの途中、1733年に亡くなったとされています。ただこれは定かでなく、「オベアを扱う女性の遺体を見つけた」との記述が残っていたことからナニ―ではないかと推察されたものです。
1960年代まで生きていたという説もあるそう。

諸説ある中で1739年、マルーンがイギリス軍に勝利し和平条約を結ぶに至ったのはナニーの統率によるものだということは確かなこと。

そしてジャマイカ政府は1975年、ナニーをナショナルヒーローに選出しました。


$500札になったナニー

ナショナルヒーローとなったナニー
500ジャマイカドル札に印刷されています。



最近の個人的な流行は、ターバン・ナニー。折り紙ついでに教えると大ウケ!




元からターバンなんですけどねっ!




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