National Hero(国民的英雄)折り返しの4人目はGeorge William Gordon(ジョージ・ウィリアム・ゴードン)
実は、私この人のことほとんど知らないんです!!
ジャマイカ来てすぐの語学研修で少し触れたはずなのに全く記憶になく、ナショナルヒーローの中で唯一名前すら忘れそうになってしまう人。ごめんなさいジョージ。
ということで一緒に勉強していきましょう!
George William Gordonって何者?
ジョージは1820年、スコットランド人の農園家であり砂糖プランテーションの弁護士を勤める父と、白人と黒人の混血奴隷である母の元、St.Thomas教区にて生まれます。
8人兄弟の次男に生まれた彼は幼いころから読み書きを自身で学び、10才になる頃にはゴッドファーザーであるJames Dalyと暮らすことを許されブラックリバーへ移り住みます。
すぐに彼はDalyのビジネスを手伝うようになりその才を伸ばし、ビジネスマンへと成長していきました。また父親の遺産を受けSt.Thomasの地主でもあったそうです。
1843年、23歳の頃、彼は政界へと足を踏み入れます。
これは1838年に奴隷制度が終り解放されたものの、未だに不遇の環境にいる元奴隷たちを救い、黒人の地位を向上するためでした。
地主でもあった彼は、貧しい元奴隷たちの生活環境を上げるために彼の持っている土地を出来る限り安く彼らに売却し、その土地で作った農作物をフェアな値段で売れるようなマーケティングシステムも作ります。そして制圧的で不公平な環境に抗うよう人々を促しました。
1865年、ジョージの盟友であり現在ナショナルヒーローにもなっているPaul Bogleが扇動し、黒人の不遇を訴えた「モラントベイの反乱」が起こります。
この反乱の鎮圧後に首謀者のBogleは処刑されるのですが、Bogleと親しく、以前から黒人の地位向上に努めていたジョージもまた反乱を扇動した刑で逮捕されてしまいます。
ジョージは反乱には関係なく裁判では証拠も不足していたのですが、当時の統治者であるGoverner Eyreの命により有罪判決を受け、死刑になりました。
以前から黒人の味方であり議会などでも邪魔な存在であったため、この機会に消したいという思惑が働いたと言われています。
しかしこの処刑がイギリス本国まで伝わり統治者の横暴が明らかとなり、ジャマイカ統治への不安からイギリスの直轄植民地となりました。これにより特権階級による独裁体制は崩れ、そして元奴隷の環境を改善するために新たな総督がイギリス本国からジャマイカへ送られました。
このことからジョージの死が黒人の地位向上に大きく貢献することとなった、とも見られています。
そして彼の死から100年後の1965年、ジョージは盟友ボーグルと共にナショナルヒーローに選出されました。
ともかくBogleの盟友ということ
うーん、ちょっと不完全燃焼。
難しい。
ともかく分かったのは、Paul Bogleの盟友であり、Bogleのことを語らずにジョージを語れないってことですな。
ってことで次回はPaul Bogle!私が一番好きなナショナルヒーローです!!
Innocent Blood / Culture
ジョージが歌詞に出てくるらしい!
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