2015年10月27日火曜日

7人の英雄-Samuel Sharpe-


National Hero(国民的英雄)3人目はSamuel Sharpe(サミュエル・シャープ)

Sam Sharpeとしても知られている彼はMontego Bay出身の奴隷で、ジャマイカ最大の奴隷反乱を率いた扇動者です。

彼に関してはノート3行分しかメモしていなかったので今回少し勉強しましたが、なんと情報の少ないこと!!3行分の知識を最大限広げながら書いてみます。


Samuel Shaepe

1801年、セントジェームス教区に生まれた彼は人生の大半を奴隷として過ごしますが、元々頭がよくリーダーシップにも優れたために特別に教育を許され、その教養から他の奴隷たちに尊敬されるようになります。エリート奴隷だったんです。

バプテスト教会(Baptist Church)の助祭となったサムは、奴隷たちに唯一許されていた宗教活動を利用して多くの教区を周り、奴隷たちに勉強を教えたり、キリスト教の布教、自由や平等性を説きました。
彼の活動は出身地のSt.Jamesだけでなく、Trelawny、Westmoreland、St.Elizabeth、Manchesterなどジャマイカ西部だけでなく南海岸にまで至ったそう。一番近くのHannoverだけ行けなかったのは何でだろ。




1831年12月、サムは奴隷の労働状況に抗議する運動を起こします。

12月27日にKensington Estate Great Houseに火が上がったことをサインに奴隷たちのストライキが始まりました。
当初は暴力を用いない平和的な抗議運動を目指していましたが、結果として、後にChristmas Rebellion(クリスマスの反乱) と呼ばれるジャマイカ最大の奴隷の反乱へと発展したのです。


平和的解決を目指したサムに対し、イギリスの軍隊は武力により奴隷を攻撃、2週間で反乱を制圧しました。
この戦いにより、14人の白人と500人を超える奴隷が命を落としたそう。


反乱を制圧した政府はサムを捕え、1832年5月23日に彼はモンテゴベイの広場で処刑されました。

彼はこんな言葉を残しています。

"I would rather die upon yonder gallows than live in slavery"
(奴隷として生きるよりも、あそこの絞首台の上で死ぬことを選ぶ)



彼の処刑からわずか2年後の1834年8月に奴隷制度が廃止、さらに4年後の1838年8月、奴隷たちは正式に開放されました。

この奴隷解放には、サムが率いたジャマイカ最大の反乱が大きく関係しており、
1975年、彼はジャマイカ政府によりナショナルヒーローに選出されました。


Sam Sharpe Square

彼の生まれの地であるモンテゴベイには、"Sam Sharpe Square"と呼ばれる広場があります。



モンテゴベイのダウンタウン中心地であり、タクシーの発着地ともなっているサム・シャー・スクエア。
記念碑や銅像の他に、隣には当時使われていたレンガ造りの牢屋が、また周りにはジョージアン様式の建物も見られます。

活気があって面白い場所なのでオススメです!





サムもまたお札になっているのですが、見るたび思うけど、、
この肖像は悪意あるんじゃ。。

写真が残っていないから仕方ないけど、それなら格好よく書いても良いんじゃないの!(笑)



***
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