2016年1月2日土曜日

7人の英雄-Paul Bogle-


明けましておめでとうございます。


この記事を書いているのは12月中旬。旅行のためにリアルタイムで更新していないので、無事に2016年が明けていることを祈ります!!



新年1発目は、しばらく更新が途絶えていたNational Heroの続きから。

"19世紀の反逆者"とも呼ばれるPaul Bogle(ポール・ボーグル)です。




更新の期間が空いてしまいましたが、忘れていたわけじゃないんです!!

ポール・ボーグルは一番好きなナショナル・ヒーローなので、何書こうか迷っているうちに。
しかも結局書くこともまとまりませんでした。。



苦しい生活を強いられた元奴隷

ポール・ボーグルを語る上で欠かせないのが1865年10月11日のMorant Bay Rebellion、通称ジャマイカ事件。

この事件のきっかけとなったのは、1838年に解放された奴隷たちの苦境でした。

解放されたとはいえほとんどの黒人は極貧生活をしていました。
当時選挙に投票するためには高額な費用が必要であり、事実上黒人たちは投票権を持てず、これは白人農業主たちが事実上の奴隷制を維持しているのではないかとさえ言われていました。白人約40万人に対して投票権を持つ黒人は2000人以下だったそう。

そのうちの1人がボーグルでした。



1865年には厳しい干ばつが起こり、解放奴隷たちが育てていた作物や家畜が一掃されてしまいます。彼らは飢えを凌ぐため、生きるために 盗み を働き、しかしこれが見つかり投獄される黒人が多く出ていました。

ボーグルはこの苦境を伝えるためにエリザベス女王へ手紙を書き、当時の総督Governor Eyreに渡しましたが、これは総督により書き換えられてしまい、女王へは届きませんでした。


1865年10月7日にある黒人が農場への不法侵入で収監されたことをきっかけに黒人の怒りが爆発し、彼らは暴徒と化します。


モラントベイの反乱

1865年10月11日
ボーグルは2~300人の黒人を率いて市街に行進し、抗議の意を示します。

しかし非武装の彼らに対して白人警団が砲火し、このとき黒人7名が犠牲になりました。


そのことに怒った黒人たちは暴動を起こし、白人警団18名の命を奪い市を制圧します。
反乱軍はどんどんと増え、2000名にも達していたそうです。


http://senatehouselibrary.ac.uk/2015/10/25/paul-bogle-george-william-gordon-and-the-morant-bay-rebellion-1865/


総督Governor Eyreはモラントベイに政府軍を派遣し、反乱を鎮圧するために無差別に黒人を虐殺していきました。反乱軍以外の市民、女性や子供も関係なかったそうです。


これにより439名が殺され、ボーグルを含む354名が逮捕、処刑されました。
また600名は懲罰処置を受け、ムチ打ちの刑や長期収監されたそうです。

以前の記事で書いたように、ボーグルの盟友George William Gordonはこの時無実の罪で処刑されています。



英国での大論争


モラントベイでの反乱、そして大虐殺のニュースがイギリスに届くと、いくら暴動を鎮圧するとはいえやりすぎではないか、と大論争が巻き起こります。


Eyreの反対派を中心に解放奴隷たちの苦境を調査するための審議会が設立され、また、Eyreは本国に召還され殺人容疑で2度起訴されました。
しかしこの起訴は、擁護派の反発もあり判決には至らなかったそう。


審議会により解放奴隷たちの生活が見直され、学校、病院、道路、鉄道、私立救貧院などの建設が行われました。

さらに植民地議会制が廃止され、ジャマイカは英国直轄植民地となりました。
これにより特権階級による独裁体制は崩れ、そして元奴隷の環境を改善するために新たな総督がイギリス本国からジャマイカへ送られました。


このことからボーグル、ジョージの死が黒人の地位向上に大きく貢献することとなった、とも見られています。


そして彼らの死から100年後の1965年、ボーグルは盟友ジョージと共にナショナルヒーローに選出されました。




***
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*更新後にアクセス可能となります。

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