2015年10月30日金曜日

7人の英雄-George William Gordon-


National Hero(国民的英雄)折り返しの4人目はGeorge William Gordon(ジョージ・ウィリアム・ゴードン)

実は、私この人のことほとんど知らないんです!!

ジャマイカ来てすぐの語学研修で少し触れたはずなのに全く記憶になく、ナショナルヒーローの中で唯一名前すら忘れそうになってしまう人。ごめんなさいジョージ。

ということで一緒に勉強していきましょう!


George William Gordonって何者?

ジョージは1820年、スコットランド人の農園家であり砂糖プランテーションの弁護士を勤める父と、白人と黒人の混血奴隷である母の元、St.Thomas教区にて生まれます。

8人兄弟の次男に生まれた彼は幼いころから読み書きを自身で学び、10才になる頃にはゴッドファーザーであるJames Dalyと暮らすことを許されブラックリバーへ移り住みます。
すぐに彼はDalyのビジネスを手伝うようになりその才を伸ばし、ビジネスマンへと成長していきました。また父親の遺産を受けSt.Thomasの地主でもあったそうです。


1843年、23歳の頃、彼は政界へと足を踏み入れます。
これは1838年に奴隷制度が終り解放されたものの、未だに不遇の環境にいる元奴隷たちを救い、黒人の地位を向上するためでした。

地主でもあった彼は、貧しい元奴隷たちの生活環境を上げるために彼の持っている土地を出来る限り安く彼らに売却し、その土地で作った農作物をフェアな値段で売れるようなマーケティングシステムも作ります。そして制圧的で不公平な環境に抗うよう人々を促しました。


1865年、ジョージの盟友であり現在ナショナルヒーローにもなっているPaul Bogleが扇動し、黒人の不遇を訴えた「モラントベイの反乱」が起こります。
この反乱の鎮圧後に首謀者のBogleは処刑されるのですが、Bogleと親しく、以前から黒人の地位向上に努めていたジョージもまた反乱を扇動した刑で逮捕されてしまいます。

ジョージは反乱には関係なく裁判では証拠も不足していたのですが、当時の統治者であるGoverner Eyreの命により有罪判決を受け、死刑になりました。
以前から黒人の味方であり議会などでも邪魔な存在であったため、この機会に消したいという思惑が働いたと言われています。

しかしこの処刑がイギリス本国まで伝わり統治者の横暴が明らかとなり、ジャマイカ統治への不安からイギリスの直轄植民地となりました。これにより特権階級による独裁体制は崩れ、そして元奴隷の環境を改善するために新たな総督がイギリス本国からジャマイカへ送られました。

このことからジョージの死が黒人の地位向上に大きく貢献することとなった、とも見られています。


そして彼の死から100年後の1965年、ジョージは盟友ボーグルと共にナショナルヒーローに選出されました。



ともかくBogleの盟友ということ

うーん、ちょっと不完全燃焼。

難しい。


ともかく分かったのは、Paul Bogleの盟友であり、Bogleのことを語らずにジョージを語れないってことですな。

ってことで次回はPaul Bogle!私が一番好きなナショナルヒーローです!!


Innocent Blood / Culture
ジョージが歌詞に出てくるらしい!


***
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*更新後にアクセス可能となります。


2015年10月29日木曜日

ひっっっさびさの学校訪問

 
今回はWatt Town All Age Schoolという山奥の小さな小学校。
アウトリーチ活動はメインの活動ではないので、時間が空いた時に訪問しています。
 
 
 
山奥で交通の便も悪いので、学校訪問する時は始業から終業までずーーっと滞在して
1日で全クラスを周るという超ハードスケジュール。
 
今回も1年生~6年生まで100人ほどを相手にして、ぐったり。。
 
 
1日中まとわりついてくる子供たちに疲れながらも、モテモテ気分でちょっぴり嬉しい。元気な子供たちにパワーをもらい、充実の1日でした!
 
 
 
キラキラ笑顔のジャマイカキッズたち
2年生の女の子が私のカメラで撮った写真です。
警戒心がないからか、私が撮るよりも自然な良い笑顔が多い気がする!








 
 
 
 給食も一緒に。牛肉と豆の煮込みに白ご飯。 



給食後に嬉しい出来事が!!

4年生の女の子たちが花束を作ってきてくれました!!


Angels Trumpetというラッパ状のお花にキレイなお花をアレンジメント。
それぞれ個性が出てて、めちゃめちゃカワイイんです!

や~、嬉しかった。


来月は2校くらい行けると良いな。

2015年10月27日火曜日

7人の英雄-Samuel Sharpe-


National Hero(国民的英雄)3人目はSamuel Sharpe(サミュエル・シャープ)

Sam Sharpeとしても知られている彼はMontego Bay出身の奴隷で、ジャマイカ最大の奴隷反乱を率いた扇動者です。

彼に関してはノート3行分しかメモしていなかったので今回少し勉強しましたが、なんと情報の少ないこと!!3行分の知識を最大限広げながら書いてみます。


Samuel Shaepe

1801年、セントジェームス教区に生まれた彼は人生の大半を奴隷として過ごしますが、元々頭がよくリーダーシップにも優れたために特別に教育を許され、その教養から他の奴隷たちに尊敬されるようになります。エリート奴隷だったんです。

バプテスト教会(Baptist Church)の助祭となったサムは、奴隷たちに唯一許されていた宗教活動を利用して多くの教区を周り、奴隷たちに勉強を教えたり、キリスト教の布教、自由や平等性を説きました。
彼の活動は出身地のSt.Jamesだけでなく、Trelawny、Westmoreland、St.Elizabeth、Manchesterなどジャマイカ西部だけでなく南海岸にまで至ったそう。一番近くのHannoverだけ行けなかったのは何でだろ。




1831年12月、サムは奴隷の労働状況に抗議する運動を起こします。

12月27日にKensington Estate Great Houseに火が上がったことをサインに奴隷たちのストライキが始まりました。
当初は暴力を用いない平和的な抗議運動を目指していましたが、結果として、後にChristmas Rebellion(クリスマスの反乱) と呼ばれるジャマイカ最大の奴隷の反乱へと発展したのです。


平和的解決を目指したサムに対し、イギリスの軍隊は武力により奴隷を攻撃、2週間で反乱を制圧しました。
この戦いにより、14人の白人と500人を超える奴隷が命を落としたそう。


反乱を制圧した政府はサムを捕え、1832年5月23日に彼はモンテゴベイの広場で処刑されました。

彼はこんな言葉を残しています。

"I would rather die upon yonder gallows than live in slavery"
(奴隷として生きるよりも、あそこの絞首台の上で死ぬことを選ぶ)



彼の処刑からわずか2年後の1834年8月に奴隷制度が廃止、さらに4年後の1838年8月、奴隷たちは正式に開放されました。

この奴隷解放には、サムが率いたジャマイカ最大の反乱が大きく関係しており、
1975年、彼はジャマイカ政府によりナショナルヒーローに選出されました。


Sam Sharpe Square

彼の生まれの地であるモンテゴベイには、"Sam Sharpe Square"と呼ばれる広場があります。



モンテゴベイのダウンタウン中心地であり、タクシーの発着地ともなっているサム・シャー・スクエア。
記念碑や銅像の他に、隣には当時使われていたレンガ造りの牢屋が、また周りにはジョージアン様式の建物も見られます。

活気があって面白い場所なのでオススメです!





サムもまたお札になっているのですが、見るたび思うけど、、
この肖像は悪意あるんじゃ。。

写真が残っていないから仕方ないけど、それなら格好よく書いても良いんじゃないの!(笑)



***
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2015年10月23日金曜日

超クレイジーなワニ園Swamp Safari Village

 
お隣のTrelawny教区はFalmouthにある超ぶっ飛んでる動物園、Jamaica Swamp Safari Village
 
あまり有名ではありませんが寂れた感じが何とも言えず、個人的にはめちゃめちゃ興奮した場所。
 
 
ここは自由に見て回る動物園ではなく、毎30分ごとにガイド付きのツアーで周ります。
予約は不要ですが、ツアーの出発は00分か30分と決まっているので、その時間を目指していくと良いかと。
 
 
 
ツアーの最初は鳥舎から。
 
ジャマイカ一の規模を誇る大きな鳥小屋になっており、見学者も中に入ります。
 
 
大量の鳥が自由に過ごしているため、鳥嫌いではない私もビビりまくり。
ガイドさんが餌を撒くたびに大群が飛び寄せてくるんです!!!超怖かったけど、大興奮。
 
 
希望者は直接餌やりや頭にハト的な鳥を乗せることも出来ます。
お友達は楽しそうに餌あげてましたが、私は遠慮しておきました。チキンです。



鳥舎のあとはスワンプ・サファリの見せ場であるワニ舎へ。
この動物園はなによりもワニが売りで、200頭以上を飼育しています。

ワニ舎の数も10カ所以上
一部はカップルごとに部屋を分けてるみたい。



動物園のワニっていったら普通じーーーっとして動かないイメージですが、
ここのワニはめちゃめちゃアグレッシブなんです。

飼育員さんが「アォッ!アォッ!」と呼ぶと・・


ゾロゾロ、ノソノソ。


最終的にはこんなに集まってきました。しかもドア空いた状態。

 
ワニが集まってくる様が異常な光景すぎて、伝わらないのがもどかしい。
この興奮はぜひ味わってほしいです!
 
ちなみにこの日は見れませんでしたが、普段は餌やり風景も見れるそうです。
 
 
 
その後、ヘビやイグアナ、サル、タヌキなどの動物を見た後は、
ワニの赤ちゃんへ。
 
 
ちょいグロ注意。
 
 

 


ここではワニの赤ちゃんと写真を撮れます。
一緒に行った友達はワニ大好きなので、掴んだままずーっと見つめていました。
 
 
その後もブタの仲間や鹿の仲間を見つつ、もう一度ワニ舎へ。
 
ここは007 "死ぬのは奴らだ"の撮影地ともなったワニ池だそう。

 
 
 
映画の中にワニの背中を飛び石のように飛び歩くシーンがあるのですが、その撮影はこの池で行われました。Swamp Safariの元オーナーで猛獣大好きのアメリカ人、ロス・カナンガがスタントマンを演じたそう。
 
最後にこのシーンを上映してくれます。
 
 
帰りもダメ押しのワニ祭り。
飼育員さんの掛け声に押し寄せてきます。面白すぎ!
 
 
 
普通の観光には向きませんが、長期滞在の方やワニ好きの方にはオススメです。
ジャマイカクオリティ―味わえます!
 
 



2015年10月22日木曜日

7人の英雄-Nanny of the Maroons-



National Hero(国民的英雄)2人目はNanny of the Maroons

彼女は18世紀初頭に起こった反乱の指導者で、逃亡奴隷を率いてイギリス軍に勝利したことで知られています。

マルーンとは?

マルーンとは、アフリカからアメリカ大陸やカリブ海に連れて来られた奴隷たちが、奴隷制度に反発して山中で武装し、自給自足の生活を送った集団のことを指します。

地域によって事情は異なりますが、山中でアフリカ伝統コミュニティを形成したこと、奴隷解放のために戦ったことは共通しています。

ジャマイカでは1655年スペイン軍がイギリス軍に敗れた頃、ある奴隷たちが白人配下の農場から内陸丘陵地に逃げ、これがマルーンの元となりました。
1939年イギリス軍とのゲリラ戦に勝利し和平条約を結ぶまでの間、幾度となく戦いが行われたそう。

現在もジャマイカでは一部のマルーンは山中のコミュニティで生活しています。
PortlandのNanny Town、St.ElizabethのAccompong、St.JamesのQudjoe Townなどが有名。




超余談ですがMaroon5のバンド名の由来はトップ・シークレットだとか。
このマルーンと関係あるのかな。





Nanny of the Maroons

ナニーは元々西アフリカ、ガーナのアシャンティ族として生まれ、その後に奴隷としてジャマイカに連れて来られたといわれています。
アシャンティ族といえばラスタの教派、Bobo Shanthiの元となった、あのシャンティ族。(参考:ラスタの教派

彼女はGranny NannyやQueen Nannyとも呼ばれていますが、実のところ本名は知られていません。
また、ジャマイカで生まれていない唯一のナショナル・ヒーロー。素性は明かされていないようです。

黒魔術も使うらしいし、日本で言う卑弥呼的な存在でしょうか。



上述の通り、ナニーと兄弟たちは白人配下の農場から内陸丘陵地帯に逃げ、マルーンコミュニティを形成しました。
その際ジャマイカ全土に広くコミュニティを形成するべく、兄弟たちが中心となり各地にマルーンタウンを形成。PortlandのNanny Town、St.ElizabethのAccompong(アコンポン)、St.JamesのQudjoe Town(クジョー・タウン)はそれぞれ兄弟の名前から取られ名付けられています。


ナニーは戦術に優れ、その後マルーン達を率いてイギリス軍との戦いに幾度も勝利しました。

いつ攻撃するか、どうやって戦うか、など計画を練ることやリーダーシップだけでなく、ナニーの強さは超自然的な力があり、オベア(黒魔術)を扱ったとも言われています。
また薬草の知識も豊富であり、マルーンの健康も助けたそうです。

ますます卑弥呼感が増していく。。

1728年にNanny Townを形成してから1934年頃まで、度々イギリス軍から攻撃を受けながらも、Nanny Townは一度も害を受けなかったとか。スーパー強かったわけです。



1731年~1739年が第1次マルーン戦争として知られていますが、ナニーはこの戦いの途中、1733年に亡くなったとされています。ただこれは定かでなく、「オベアを扱う女性の遺体を見つけた」との記述が残っていたことからナニ―ではないかと推察されたものです。
1960年代まで生きていたという説もあるそう。

諸説ある中で1739年、マルーンがイギリス軍に勝利し和平条約を結ぶに至ったのはナニーの統率によるものだということは確かなこと。

そしてジャマイカ政府は1975年、ナニーをナショナルヒーローに選出しました。


$500札になったナニー

ナショナルヒーローとなったナニー
500ジャマイカドル札に印刷されています。



最近の個人的な流行は、ターバン・ナニー。折り紙ついでに教えると大ウケ!




元からターバンなんですけどねっ!




***
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2015年10月21日水曜日

ジャマイカの隠れた絶景Lover's Leap



ごみごみガヤガヤして疲れた時におすすめの絶景スポット、Lover's Leap(ラヴァーズ・リープ)

520mの高さにある断崖絶壁です。

ここは、かつて奴隷として囚われていたアフリカ人の若い男女が別れることよりも死を選び、2人で身を投げた場所として知られています。そのカップルの伝説にちなんでLover's Leap(恋人たちが飛び越える場所)と名付けられ、愛の名所となっています。

・・・縁起良いんだか悪いんだか分からないのは私だけ??



伝説はさておき、ともかく景色が最高。
展望デッキからはジャマイカ南側の海が一望できます!


チラっとLoversが写ってますね(笑)


個人的にはジャマイカで1番の息を飲む絶景だと思います。
観光客が少ないので、のんびりずーーーっと眺めていたい場所。超オススメです!


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入場料J$300
ルートタクシーの場合はSouthfieldでチャーターしましょう

2015年10月20日火曜日

ゴミの組成調査



帰国研修員フォローアップ協力として廃棄物処理団体と行っているゴミの減量プロジェクト

9月にはその第1弾としてダンプサイトでゴミの組成調査を行いました。



ゴミの組成調査

その名の通り、どんな種類のゴミがどのくらいあるのか、の調査です。
今回はジャマイカの南地域、北東地域から6つのコミュニティを選定して調査を行いました。


方法はいたってシンプル。


25世帯から集めてきたゴミをズサササーっとあけて



 種類ごとに拾っていきます


 
 
そして種類ごとに計量して記録します。




調査結果はこうなった


調査結果がこちら。
グラフはNSWMAの報告書から引用しています。

 

両地域とも誤差はありますが、大きな割合は似ています。
堆肥化可能ゴミ(生ゴミ)が約55%
次いで紙ゴミ、プラスチックがそれぞれ12~15%
 
この3種類がゴミの8割を占めている結果に。
家庭ゴミの組成は大きく変動することは少ないので、当初の想定通り、過去に行われた調査に類似した結果となりました。
 
 
半分を占める生ゴミ
 
家庭ごみの大半を占める生ゴミ。
ジャマイカの多くの家庭では残飯を犬のエサにしたり、庭に埋める家庭も少なくないですが、今回はそういったゴミも調査対象として収集しました。
 
 
今後は生ゴミの減量のため、堆肥化技術のワークショップを行う予定。
コミュニティでのワークショップ、学校のスクールガーデン向け授業、それぞれ行います。
 
 
 
3割はリサイクル可能
 
生ゴミに次いで大きな割合を占めるのが紙ごみ、プラスチック。
日本ではリサイクルされている物ですが、ジャマイカではそのままダンプサイトに放置されています。
 
そこでリサイクルを進めるべく、今回のプロジェクトの中で家庭での分別と分別回収をパイロットコミュニティで行います。
 
民間のリサイクル企業と連携して行うため、各家庭回収ではなく回収ポイントを設置する予定。
回収ポイントはコミュニティに対して1つを予定しているのですが、どうも個人的には住民がわざわざゴミを持ってくるとは思えません。。
売却した収益はコミュニティの費用として渡すことでモチベートするらしいけど、そんな上手く行くかな。
 
 
今月から随時コミュニティや学校での個別プロジェクトが動きだします。
不安が大きいけど、上手くいきますように!


2015年10月19日月曜日

7人の英雄-Marcus Garvey-


先週のジャマイカはNational Heritage Week、国家遺産週間でした。

10月19日(月)の祝日、ジャマイカの英雄を称えるNational Hero's Dayで締めくくられます。




National Heroとは?

その名の通り、国民的英雄のこと。

以下7名の人物がナショナル・ヒーローとして称えられています。



Marcus Garvey










Norman Manley




植民地時代の奴隷制度や権力に対し勇敢に立ち向かい自由な社会へと導いた、
まさに歴史を変えた偉大な方々です。



最初の英雄、Marcus Garvey

今回はジャマイカで初めてナショナル・ヒーローとなったMarcus Garvey(マーカス・ガーベイ)について紹介します。

ガーベイは私の任地セントアン教区の出身でありラスタの預言者とされているので、このブログでも何度か登場しています。
(参考記事)
 ラスタの歴史part1
 マーカス・ガーベイ・ディ


マーカス・ガーベイ(Marcus Moiah Garvey)は1887年8月、11人目の末っ子としてSt.Ann's Bayで誕生します。奴隷家系に生まれながらも、父が持つ図書館のお蔭で幼少期から読むことが大好きな少年だったそう。

たくさんの読み物に囲まれて育った彼は、大人になり印刷業を営みますが、印刷工たちのストライキに参加した経験が彼の政治活動家としての情熱に火を付けました。
そして1910年にジャマイカを出、コスタリカやパナマ、カリブ海地域を転々とします。

1912年に1度ジャマイカに戻るもすぐにロンドンへと拠点を移し、大学で法律と哲学を学びながら新聞の編集者としても働きました。同時に演説家としての活動も始めます。

1914年ジャマイカに戻り、黒人の権利を主張するUNIA-ACL*を設立。
*United Nigro Improvement Association and African Communities League/世界黒人開発協会アフリカ社会連合

彼は黒人のアイデンティティを求める運動として始まった"パン・アフリカ主義"に基づき、奴隷貿易で連れてこられた世界中のアフリカ系住民の解放と連帯を訴えました。
ラスタの歴史編でも触れましたが、これがラスタのRepatriation、アフリカ回帰の基となります。

ガーベイの主張はアメリカだけでなく、カリブや南アメリカに住む黒人の支持を得て、1920年にはUNIAの会員は400万人を超えました。

1916年には海運業を行うBlack Star Line社を設立。
事業を拡げ企業家としての活動を開始します。

Black Star Line最初の船隊

これは単なる海運会社でしたが、この頃熱を帯びていたUNIA会員、いわばガーベイの熱烈な信者は「この船で全ての黒人がアフリカに帰れる」という誤解を持っており、アフリカ回帰と黒人解放へ拍車がかかりました。
1922年には白人至上主義団体のKKK(Ku Klux Klan)と会談。
しかし、その強いアフリカ回帰主義のために、アメリカで活躍する一部の黒人知識階層から反発を受けます。
そのため、Black Star Line社の郵便詐欺罪として告発されガーベイが投獄されたことは、アメリカの政治的な意図があったとも言われています。


1927年に釈放されたじゃマイカへ強制送還されたガーベイはジャマイカで政治活動を始めました。1929年に労働者のための政党PPP(People's Political party)を設立。労働者の権利や教育、貧困への援助を訴え、議員として活躍の場を広げていきました。

同時にこの頃、ガーベイの演説の中に黒人解放を示唆するメッセージがあり、ガーベイ信者たちにより預言者と称えられ、ラスタファリズムの形成に強い影響を与えました。
ガーベイ自身がラスタファリズムに同調することはありませんでしたが、彼の信念はいまでもラスタに根付いています。

1935年にロンドンへ拠点を移し、5年後に生涯を終えます。



そして1964年、黒人解放に導いたマーカス・ガーベイは、ジャマイカ政府により国民的英雄に選出されました。

St.Ann'sBay図書館飾られている銅像

さくっとまとめるつもりが、任地出身で思い入れのあるヒーローなので長くなってしまいました。
残り6名も随時紹介していきます!


***
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